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法事後の清宴にて~学会員とのやりとり~

拙僧は法事後の清宴に招かれることも多く、施主様始めそのご家族や親戚との交流を大切にしている。法事では皆が功徳を積むとはいっても、法話・法要と、こちらからの一方的なアプローチになりがちだが、その後の宴会では相互が分かち合いながら時間を共有できる。ましてや若い方との接点が少ない中にあって、そのような機会を見逃すわけにも行かない。実際、その積み重ねによって菩薩団に加入してくださった方もあるので、俄然やる気が出る。
[ビール][バー]もっとも、宴会が大好きなのが一番の理由なのだが。[わーい(嬉しい顔)]

先日、清宴でとある参列者が

「浄土宗は南無阿弥陀仏と唱える。あの世へ行きたい。阿弥陀さん救ってくれー。そうすると死にたくなる。鬱病になる。だから法華経を修行しないといけない。しかし、身延の修行は狐や蛇を祀っているので畜生になる。本当に仏界を理解している教団は創価学会」だと。

拙寺地域は浄土信仰が盛んな土地なのだ。

この方は法事の度に折伏と称して周りの方を悩ませるのだが、結構人間味があって拙僧のことも可愛がってくださる。数年来の付き合いになるが宴が進むにつれて拙僧と必ず議論になる。

拙僧
「学会は草創期より相互依存で活動してきた大石寺教義も払拭できず、中途半端。しかも過去の教義清算や活動への自己批判も一際しないで、新教義を布教するのはあまりにも無責任。

ここにいる村の浄土宗信徒は仏教のことなど何も知らない。学んだこともない。興味もない。ただ慣習にならって法事に参列しているだけ。貴方だって入信前はそうだったはず。

しかし、ここの人達が貴方の意見に同調してあなたと同じアナウンスを始めたら、正邪の確証もなく人を引き込むことになる。このことに問題意識や宗教的な懐疑心を抱かないと、世間からカルトと言われても仕方ない。

拙僧は日蓮聖人の教義であっても懐疑心も持つし、教団の高僧の発したことでも疑問を主張できます。既成教団の日蓮宗はそういった教団です。

でも新宗教はたいていそのような心を抱くこと自体タブー。成功すれば御利益。失敗すれば信仰が足らないと言う。批判的なことを主張すれば堕地獄となる。これでは思考停止ですよ。

貴方は法事の度に日蓮宗の法要に参列しています。邪教僧侶との同座は地獄行きじゃなかったのですか?貴方は本当の本尊は板ではなく心の中にあると言うが、貴方の大先輩方は大石寺の板本尊のみが絶対と称していました。教義改革は方便として必要というなら、狐や蛇だって肯定できますよね。諸天の別勧請は法華経への引入方便なのですから。

身延が狐や蛇を祀っているというのも貴方達は何十年来主張していますが、釈尊を礼拝しているのです。法華経を信仰しているのです。狐や蛇は諸天の眷属であって、本尊にしていません。そこも間違っています。悪口をそのまま意味も分からず発している人が多すぎます。

わたしは貴方にとても愛着を抱いていますし、毎回お会いするのが楽しみ。万が一貴方が先立つようなことがあったら葬儀には絶対に出席します。たとえ学会の友人葬であっても。友情を教団に指図される覚えはないのですから」

昨年は大震災で多くの命が失われた。熱心な信仰を持つものもあったと思う。この期に及んで布教と称し、そのような無責任なことを発する教団は看過できない。

ある高僧が

「世間では天罰や業・因縁といった言葉を悪しき趣旨で発言する人がいる。しかし、そのような言葉は絶対他者に投げかけるべきではない。​自己に自問自答するべき言葉であり問題である」

と説法されたことも伝えた。

最後はその方と再会を誓って握手をして別れた。有意義な清宴であった。

以前ブログに記した内容が埋もれてしまったので再掲します

拙僧ブログ「幸不幸を他者に決めつけられたくない」
http://hokkeji.blog.so-net.ne.jp/2007-04-12





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