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家族葬~後悔先に立たず、チャンスは一度だけ~

最近は喪主さんから「家族葬ですので」と言われることがよくある。こちらにとっては、家族だけだろうが何百人参列があろうが、供養に変化はないのでどうでもいいことなのだが、喪主さんにしてみれば質素にイコール財政節約の意味があるのだろう。とある上人が「葬儀なんか昔も今も家族葬デスよ。最近の葬儀は家族葬じゃなくて秘密葬ですよ!」と仰っていたことに深く共感したが、先日このような出来事があった。
父親が亡くなり喪主である息子は私に例のごとく「家族葬で行いますのでぇ」葬儀式も終わり火葬場へのタクシー車中で
拙僧「私も東京から関西にきて十年以上になり、ようやくこちらでも心を許しあえる友人や檀家さんができましたよ。東京には同じ釜の飯を食った無二の親友が数名いますが」
喪主「私も学生時代から悪いことばーっかりしてきた親友がいましてね、腐れ縁というか、これからもずっと親しいですね」
拙僧「男性は特に親友を大切にしますよね。でも、万が一その腐れ縁の親友が亡くなってもご主人は知らないままなんでしょうね」
喪主「そんなことはないと思いますよ。本当に親しいんですから」
拙僧「でも、その親友の息子娘が家族葬を選択したら知らされないでしょう。ご主人が先になくなっても息子さんが家族葬を選択したらその友人には訃報は伝えられないでしょうね」
喪主は黙り込んでしまった。
喪主「父の友人に今から連絡します」

時すでに遅し、間も無く火葬されるのだ。お別れは済んだ。この喪主さん団塊の世代。いい大人であっても無関心、安易で世相に流されるだけの生き方をしていて、考えりゃわかるだろ!!!って単純な話も気づくことができない。指摘され始めてハッとしたのだ。今時、「葬式はいらないとか、死んだらキリスト教の信仰もないのにキリストがいいかなあ」とか皆思考が安易だ。
そしてあえて宗教者側の責任を問うとすれば、儀式化した仏教に胡座をかいて、生きた仏教を全く伝えてこなかった。いや、伝えていると勘違いしていたのだ。
時既に遅しか、いや、最後の機会と思って望め!

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