教職(僧職)の資質向上を願って。利己(権利)主義が世を乱す。
聖業であるべき教職が一職種に成り下がってしまった。社会に渦巻く利己的な資質が教職をも蝕んでいるのだと思う。僧職も信念がブレたら同じ轍を踏むかもしれない。
先日、葬儀後に故人の逮夜表を喪主様にお渡しすると、後日、逮夜法要の日時を一方的に決めて連絡してきたので「お互い社会人として相談を経て日程調整してから親戚に周知していただかないと困る」と伝えれば「絶対日時は変更しない。逮夜表に要相談と書いていない方が悪い。それなら代わりのお寺さんを紹介してほしい」と反論される。「逮夜表はあくまで逮夜の日程表。できる限りおっしゃる通りにしたいが先約がある。100件以上の檀家さんを抱えれば皆平等に勤めるのが筋で、よっぽどお宅より信仰熱心な方もいらっしゃいますが、商売じゃ無いんだからお布施の額面や好嫌いで優劣つけるのもおかしいでしょ。だからこそ相談していただきたい。そういった段階を経てはじめて他寺院の紹介を考えるんじゃ無いんですか」とこんな会話がとめどなく続く。まあワガママです。でも怒りたいが鉢は割りませんよ。言うべき事は主張しますが怒らずに信頼関係をつくっていかないといけない。怒りを吸収して。
知人の某大手電鉄の車掌も酷い苦情に振り回されているらしい。お客様は神様と言わんばかりに内容問わず苦情を受ける会社も会社だ。苦情内容に黒白付けられず我儘に振り回される電鉄に命を預けて大丈夫なのかと逆に言いたくなる。
知人の会社社長は、顧客が社長と同町内の人の什物を破損させてしまった。「怪我していてすぐ伺えないので、取り急ぎ伝えておいてほしい」と当事者に頼まれ、何か違うな?と思いながらも先方に伝えておいた。数日後顧客の母親から「ちゃんと伝えてくれたんですか?先方から直接連絡がないと怒られたじゃないですか」と怒りの電話がかかった。さすがに社長「おたく間違ってますよ。息子が怪我しているなら貴方が謝罪に行きなさいよ。しかも息子さん昨日普通にすれ違いましたよ。サービス業だからってそんな事まで擦りつけないでくださいよ」上顧客だったそうだがそれ以後音信不通、離客した。よく言った社長!それで良いと思う。
残念ながらこれらの問題客は団塊世代の割合が高い。その子供が真っ当に育つはずがない。日梵
先日、葬儀後に故人の逮夜表を喪主様にお渡しすると、後日、逮夜法要の日時を一方的に決めて連絡してきたので「お互い社会人として相談を経て日程調整してから親戚に周知していただかないと困る」と伝えれば「絶対日時は変更しない。逮夜表に要相談と書いていない方が悪い。それなら代わりのお寺さんを紹介してほしい」と反論される。「逮夜表はあくまで逮夜の日程表。できる限りおっしゃる通りにしたいが先約がある。100件以上の檀家さんを抱えれば皆平等に勤めるのが筋で、よっぽどお宅より信仰熱心な方もいらっしゃいますが、商売じゃ無いんだからお布施の額面や好嫌いで優劣つけるのもおかしいでしょ。だからこそ相談していただきたい。そういった段階を経てはじめて他寺院の紹介を考えるんじゃ無いんですか」とこんな会話がとめどなく続く。まあワガママです。でも怒りたいが鉢は割りませんよ。言うべき事は主張しますが怒らずに信頼関係をつくっていかないといけない。怒りを吸収して。
知人の某大手電鉄の車掌も酷い苦情に振り回されているらしい。お客様は神様と言わんばかりに内容問わず苦情を受ける会社も会社だ。苦情内容に黒白付けられず我儘に振り回される電鉄に命を預けて大丈夫なのかと逆に言いたくなる。
知人の会社社長は、顧客が社長と同町内の人の什物を破損させてしまった。「怪我していてすぐ伺えないので、取り急ぎ伝えておいてほしい」と当事者に頼まれ、何か違うな?と思いながらも先方に伝えておいた。数日後顧客の母親から「ちゃんと伝えてくれたんですか?先方から直接連絡がないと怒られたじゃないですか」と怒りの電話がかかった。さすがに社長「おたく間違ってますよ。息子が怪我しているなら貴方が謝罪に行きなさいよ。しかも息子さん昨日普通にすれ違いましたよ。サービス業だからってそんな事まで擦りつけないでくださいよ」上顧客だったそうだがそれ以後音信不通、離客した。よく言った社長!それで良いと思う。
残念ながらこれらの問題客は団塊世代の割合が高い。その子供が真っ当に育つはずがない。日梵
2015-07-09 22:44
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