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秋季彼岸施餓鬼会法要のご案内

 よく迷いの世界である此の岸から、仏の世界である彼の岸に至ることが彼岸会の修行と言われますが、本来二つの岸があるのではなく、私たち自身の心の迷いと悟りを示していて、仏心にかなった生き方をすれば彼岸(悟り)に居り、私欲に従った生き方をすれば此岸(迷い)に居るのです。
 釈尊は、彼岸に至る方法として『妙荘巌王本事品第二十七』に、布施(他者に施すこと)・持戒(人に迷惑をかけず約束を守ること)・忍辱(耐える心、怒りを抑えること)・精進(全力で努力すること)・禅定(自分を見失わず心を集中すること)・智恵(ものごとを正しく判断する能力を養うこと)の六波羅密を説かれました。
 我々は、乳児が母親から乳を含むが如く、父なる釈尊から六波羅蜜が自然にそなわったお題目という良薬を含ませていただきました。どうぞ、少しでも魂の向上に努め、お題目を身口意に唱え、ご修行が完成されますことを祈念申し上げます。法要にはご家族そろってぜひ御参拝くださいますようお願い申し上げます。
                     
日 時 9月24日(月・振替休) 午後1時30分  

場 所 法華寺本堂


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なごやなかがみ

ご本拝読しました。お題目の意味がわかりやすく、また、驚きでした。当家の先祖が数ある仏教の宗派のなかから日蓮宗を選択したのですよね。(以前、伯母からかあるいは父からか忘れましたが、日蓮聖人が佐渡に行かれた際のお供の一人と聞いたことがあるのです。本当かしら?本当なら嬉しいです。)当時にタイムトリップしてみたいものです。大変貴重な機会を与えていただきまして本当にありがとうございました。
by なごやなかがみ (2007-09-02 17:29) 

NO NAME

少々遅れましたが”なごやなかがみ”様のコメント事実であれば歴史好きの私には大変興味深く関心が有り、参考に成ればとコメントしました。    歴史読本(昭和56年7月号)”日蓮炎の生涯”四条頼基(日蓮の有力檀越の一人)についての記述が有り、頼基は中務左衛門尉、四条三郎左衛門尉と呼ばれ、龍口法難の際は殉死の覚悟を示し、後の佐渡流罪中には日蓮の身辺を案じ、度々使者を遣わして供養の品々を送っています。日蓮門下の中心人物で教学的にも信解力の優れた人物で有ったと書かれています、又日蓮が「善医あり、中務三郎左衛門尉殿」と述べてをり、医術にも優れ、身延の日蓮にも薬を送っています、おそらく日蓮の晩年の加療生活も、頼基の医術が大きな力となったであろうと書かれています。        要するに私は無理な考え方ですが、①各務と書いて”かがみ”呼びます、とすれば、中務を”なかがみ”よんでもおかしくはないと思います、②度々使者を遣わして供養の品々を送っている云々、などから”なごやなかがみ”様は、頼基の直系又は傍系の方ではと考えてしまいましたが如何でしょうか、とにかく事実はどうあれ、火の無いところに煙は立たぬと言います、日蓮宗の信徒として事実であってほしい願っています。
独断偏見で勝手な事をコメントしてしまいました、ご無礼をお許し下さい。
 お上人様には先日お数珠の正しい持ち方をお教え頂き有難う御座いました、又無理なお願いですが、機会が有れば家庭での正しい勤行の作法をお教えて頂けないでしょうか、信仰も正しく理解しなければなりません、先ずは正しい作法が大切だと思っています、いまさらとお思いでしょが、親のお勤めの様子やお寺での様子を伺いながら勤行していますが、お鈴の打ち方のもまちまちで本当に、ご供養が出来ているのか、自分の為にも心静かにお勤めする上でも是非一度、ご教示頂きますようお願い申し上げます。
今日は本当に勝手なコメントばかりで申訳有りません。重ねてのご無礼をお許し下さい。

 平成19年9月15日                大住ヶ丘  中嶋昌夫
by NO NAME (2007-09-15 12:37) 

名古屋・中紙

中嶋昌夫様、大変博学、そして興味深いコメントありがとうございます。何気なく書いたのですが、思いがけないお話にとても強く感激しております。確かに、岐阜県には各務原市という地方都市があり、”かがみがはら”と読みます。実は、伯母から先祖に中国へ留学経験のある眼科医がいたと聞いたことがあるのです。断片的で且つ信憑性についてはなんとも申し上げられないのですが・・・。その眼科医が中務左衛門尉かも知れません。確認の手立てもないのですが、ご先祖さまからのメッセージと思い、大変ありがたくお話伺いました。家族・親類にも知らせます。お礼の申し上げようもございません。感涙しております。貴重なお時間をさいてお調べいただき、誠にありがとうございました。
by 名古屋・中紙 (2007-09-15 17:05) 

京田辺市・中嶋

名古屋・中紙様 私の勝手な思いつきでかえって、ご迷惑をお掛けしたのではと心配していますどうか、ご無礼をお許し下さい。少しだけ付け加えさせて頂きますと、岐阜県の各務原市の事も有りますが、芭蕉十哲の門人に「各務支考”かがみしこう”」という俳人がおり今も大垣市に彼の流れを汲む人たちが俳句を嗜んでいると聞いております、江戸時代の人物の名前にも見られ、中務「なかつかさ」を”なかがみ”と呼んでもいいのでは考えま。また驚いたのは何か手掛かりに成ればと「医術・・・・」ことを書きましたが、中紙様のご先祖様の中に中国に留学し医術を学んだ眼科医が居られるとの事は、代々日蓮の時代を含め医術に優れたご家系ではと思い、大変失礼ですが、歴史のロマンを感じ中紙様のお話が願わくは事実であってほしいと思います。今日この時代までお先祖のお話を語り継がれてこられた中紙様の、ご家族、ご親類の方々は本当に素晴らしい事だと感動しております。私自身も今日この様なお話ができ不思議な因縁を感じており、これも仏縁と思い大切にして行きたいと思います、今後とも宜しくお願い申し上げます。
by 京田辺市・中嶋 (2007-09-18 17:20) 

名古屋・中紙

中嶋様
本当にお気遣いいただきましてありがとうございます。とてもロマンのあるお話で、ご先祖さまでいてくださったら本当に嬉しいのですが、こればかりは現時点で確認のしようもございません。ただ、不思議な偶然がございました。中嶋様のコメントを拝読し、夕食を済ませ、いつもなら自室にこもるのですが、テレビを何気なくつけると、「地球家族」という番組が放送されておりまして、何故かぼーっとみておりますとインドネシアのバリ島で雑貨を製造販売し成功された日本人夫妻のお話があり、なんとその方の姓が「中務(なかつかさ)」だったのです。コメントを拝読しました直後だったので、また、今まで勉強不足で中務という姓の存在すら全く知らなかったので、不思議なことがあるものだなぁ・・・。と思うことしきりでございます。実は、ご上人様と当家一族の先祖についてそのうち調べて見たいというかねてからの希望がありまして、ですから、このようなお話とても励みになります。当一族の菩提寺には約600年超前からの過去帳があったの聞いているのですが、火災により消失、残念でなりません。中紙という姓は当一族だけが名乗っている姓で、その理由も知りたいのですが、もし、中務から派生したものであれば、当一族縁の人が他にも存在しているのかしら?と色々楽しい想像を巡らせております。真実の如何を問わず、楽しい時間を頂戴いたしまして本当にありがとうございます。こちらこそ今後とも宜しくお願い申し上げます。
by 名古屋・中紙 (2007-09-18 19:27) 

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