SSブログ

自分の菩提寺で七五三

 今日はお寺で七五三の祈願法要を行いました。世間では「七五三は神社に行くもの」との先入観をお持ちの方が多いのですが、自ら信仰している宗旨の御本尊の御前において、子供の成長を感謝し、ご先祖様にご回向申し上げるのは道理に叶っており、熱心な檀信徒様は大きな神社などへは行かず、自分の菩提寺で七五三をされます。七五三の起源をひもとけば、男の子は「袴着」、女の子は「帯結び」といって成長過程を神仏に詣でて感謝する通過儀礼でした。
 本日は、ある檀信徒のご一家にお寺にお集まりいただき、男の子兄弟2名、5歳の七五三の法要を厳修申し上げました。物珍しい仏具やお寺の雰囲気に最初は緊張していたもののすぐに慣れ、やんちゃに走り回っている姿がとても可愛く、とても幸福感に包まれた日曜日でした。
 最近の子供は叱られることを知らず、所謂「友達感覚」の親と子、先生と生徒などが多く見受けられますが、お寺で走り回って悪さをすると両親や祖父母、お坊さんにきつく叱られ、良い躾教育になります。
総代様曰く
「昔は全く悪さをしていなくても、何時も先生に叱られていた」
厳しさの価値が、いずれに分かると愛のムチだったのでしょうね。
広い空間で元気いっぱい走り回って元気いっぱい叱られる。すぐにケラケラ笑って遊ぶ。そんな無邪気な子供は宝ですね。

今日の佛膳はお祝いですのでお赤飯です

昆布や鰹節、するめなどの縁起物を御供します

こちらは檀家様からの引き出物

お孫さんの息災を一心に祈って

お経頂戴。智慧を授かりますように

木札、七五三特別守、幸福鈴、千歳飴の授与です

ご家族で集合写真。一生の思い出になるでしょう
千歳飴は東京の金太郎飴本店から取り寄せました。
金太郎飴本店公式HP  http://www.kintarou.co.jp/

祝宴風景。場所は法華寺客殿です



nice!(0)  コメント(2) 

平成19年日蓮聖人御会式・小松原法難会厳修

 去る11月11日(小松原法難会聖日)に、当山本堂において【日蓮聖人御会式・小松原法難会】を厳修申し上げました。当日は冬らしい天気で、時より時雨れたりもいたしましたが、当日は名古屋の妙縁の方から法要にあわせて供物を頂戴したり、遠路よりの参拝も多数ございまして、元気いっぱいお題目を修行させていただきました。本当にありがとうございました。
 そして、異体同心にて一丸となりお寺を興隆させ、少しでも多くの人々に法華経を主軸とした人生修行を志していただき、京都には多くの寺院がありますが、その中でも「日蓮宗のお寺は本当に有り難いなあ」と感じていただくことこそお釈迦様や日蓮聖人への一番の報恩行になるのではないかと皆で領解して法要を終えました。

法要当日早朝の様子



檀家様にもお手伝いいただき、当日配るちらし寿司作り


供物の上がった御宝前

三名の僧侶で宗祖を讃歎

今年は日蓮聖人726遠忌です。各々日蓮聖人を偲ばれたでしょう


導師によるお経頂戴。自他心身共に佛身を成ずるように祈念しました


nice!(0)  コメント(2) 

檀家様からのプレゼント

 写真はプレゼントの植木鉢人形です。檀家さんの娘様が趣味で製作しているもので、以前お宅に伺ったら、大小色々な人形が玄関で出迎えてくれました。とても可愛いなあと思っていたのですが、思いがけずお寺にプレゼントしてくださいました。本当にありがとうございます。合掌



nice!(0)  コメント(0) 

雑司ヶ谷鬼子母神御会式

 東京の雑司ヶ谷鬼子母神の御会式を紹介します。場所は東京都豊島区。池袋駅から徒歩10分ほどの場所です。ここは拙僧にとって思い出の場所で、実家から近いところにある由緒のある日蓮宗寺院ですので、仏教に興味を持ち始めた学生時代には自転車でよく通ったものです。

雑司ヶ谷鬼子母神公式HP http://www.kishimojin.jp/index.html

 雑司ヶ谷鬼子母神では、毎年10月16・17・18日に日蓮聖人のご命日に際し御威徳を偲ぶ御会式(おえしき)が盛大に厳修されます。10月~12月の時期、全国の日蓮宗寺院では各々御会式法要を厳修しますが、その中でも、東京一円を中心とした御会式は特に盛大です。日蓮宗徒の有無を問わず、街を挙げての大行事となっております。日蓮聖人が御入滅された大田区池上の大本山池上本門寺や杉並区堀ノ内の本山妙法寺、そして雑司ヶ谷鬼子母神法明寺の御会式が特に有名で、毎年何万~何十万人もの参拝があります。関西一円の宗徒の皆様も深い信仰心をお持ちですが、街を挙げての日蓮宗行事は無く、機会があれば法華寺檀信徒の皆様にも参拝していただきたいと願っております。
 御会式は、日蓮聖人百遠忌の頃には「御命講」「御影講」などと言われていたようですが、江戸時代頃から太鼓を叩いてお題目を唱えながら街を練り歩くようになりました。浮世絵にも当時の様子が描かれております。

 その中心になったのが講中と呼ばれる庶民の集団で、今でもその伝統を継承した講中は、各講に万燈(まんどう)を揺らし纏(まとい)を振り、出発点から各々本堂にむかって練行列するのです。昔は夜明まで練り歩いたようですが、現在は午後7~11時位までの供養です。
その迫力といったら文上で表現するのが難しいくらいで、講中参拝者、見物参拝者共に鳥肌の立つような何とも言えない陶酔感があります。日蓮宗徒として誇り高い気持ちで一杯になるのです。
 今回、久しぶりに雑司ヶ谷の御会式に参拝しましたので画像アップします。

ちなみに動画サイト「YouTube」で御会式動画が多数ありました。
http://jp.youtube.com/watch?v=4BM3512Y0WE

鬼子母神堂前の様子です

露店もかなり出店され、混み合った中を万灯行列が通ります

万灯アップ。紙で作られた桜の花です。人がそれを担いで振ります


目白通りです。学習院や日本女子大学があります。写真は田中角栄邸付近。

火消しが振ることで有名な纏です

老若男女、太鼓を叩きます


nice!(0)  コメント(0) 

地鎮祭

 先日、お世話になっている八幡市の檀家様が土地を購入され家を建築することになり、地鎮祭を依頼されましたので伺いました。「地鎮祭」は神社の神主様に依頼することが多いように思いますが、日蓮宗では「地祭」とも呼ばれ、法華経の経力功徳をもってその土地の邪気退散と有縁の迷霊を供養し、その土地を守護している神祇にも法華経守護神の列座に加わっていただき、法華経に縁のある祈願主の守護、吉祥清浄を祈念する法が先師より伝えられております。
 もし土地を所有したり縁あって住む場合、その土地を今まで保持してくださった過去の人々の存在やそれに伴った現象に報恩感謝の誠を捧げ、なおかつ工事でもする際にはその土地を住処にしていたミミズなどの小さな生命にも迷惑をかけることにもなりますので、他者の犠牲の上に自らの生活がなし得ている旨を深く心に刻む儀式なのです。同じように「上棟式」や「落成式」「家祈祷」などを志していただくことも多くございます。




nice!(0)  コメント(0) 

神戸~おりこうなゴールデン~

 所用で神戸に行きましたが、町を歩いていると、しっかり躾けられたゴールデン2匹が散歩をしていました。拙僧も犬好きでついつい声を掛けてしまい、スーツに坊主頭といった風体ですので飼い主さんをビックリさせてしまうこともよくありますが、快くお話し下さり、写真まで撮らせてくださいました。ありがとうございました。
 写真の二匹は親子だそうです。大きい方の犬は親犬で以前はモデルを経験し(チョーヤ梅酒コマーシャル、黒谷友香さんのハンモックの下にいる犬)、現在はご老人の癒しのために活躍しているようです。小さい方は母親犬が小型だったためお父さんよりひとまわり小さいのですが、自分の名前もしっかりと理解しており、とても賢い犬でした。
 幸せいっぱいに散歩している姿に、飼い主様の深い愛情を観じるとともに、こちらまで暖かな気持ちにさせてくれました。 法華寺 日梵



nice!(0)  コメント(2) 

日蓮聖人御会式・小松原法難会のご案内

 宗祖日蓮聖人は、建長5年(1253年)はじめてお題目を唱導されてより、流罪、死罪の迫害に遭われながらも、法華経・本仏釈尊のためにご自身の身を惜しまず、常に法華経の行者として歩んでこられました。晩年の9年間は身延山にて門下の育成に努められましたが、長年に渡る御辛労と寒・湿・貧に象徴される深山身延の生活のために健康を害し、弘安5年(1282年)10月13日、常陸の湯に療養されるために立ち寄られた武蔵国池上(現在の東京都大田区大本山池上本門寺・本山大坊本行寺)にて御入滅遊ばされました。御歳61歳の御生涯でありました。この入滅をしのび、御徳を讃えるのが御会式でございます。
当山においても、日蓮聖人に報恩感謝の誠を捧げるべく法要を謹んで厳修いたします。盂蘭盆会、彼岸会以上に日蓮宗徒には最も重要な法要でございます。どうぞ皆様で御参詣ください。
 また、当日は小松原法難の御聖日に当たりますので、併せて小松原法難会も厳修いたします。
小松原法難につきましては http://blog.so-net.ne.jp/hokkeji/2007-01-18 を参照下さい。

日時 11月11日(日)午後1時30分~

場所 法華寺本堂

~当日参詣されました皆様には、御会式特製札をお持ち帰りいただけます~


nice!(0)  コメント(0) 

秋季彼岸施餓鬼大法要厳修

 去る9月24日、当山本堂においてお彼岸の大法要を厳修いたしました。本年は、厳しい残暑に体調を崩された方も多かったのではないかと推察しますが、「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、戸を全開にした本堂には爽やかな風が吹きぬけ、法要途中には龍神が歓喜されたのか、慈雨が広く大地に降り注ぎ、仏道修行期間にふさわしい環境のもと皆でご修行申し上げました。当日は、約60名の檀信徒の皆様にご参詣いただきました。
 その後、添施餓鬼法要として、拙僧の曾祖父 教示院日喜上人(東都世田谷常在寺28世、越後高田日朝寺第32世)、祖父 教徳院法善日孝信士 慈父 和光院法乗日佳居士 と、9月10月祥月年忌の三霊位の供養を申し上げ、参詣の皆様にも読誦唱題回向していただきました。
 そして法要後は、正しい勤行の作法を勉強したいという檀家様からの強い要望により、プリントや実演をもって作法をご指導申し上げました。鈴の鳴らし方や回数、法要の趣旨やその意義など、熱心に聞き入っていた檀信徒様の姿が印象に残りました。
 また、本当の感謝とは見返りを求めない、例えば願いが叶おうが叶うまいが、自らが置かれた状況を意識を向上させる学びの場として感謝するのが正しい姿である旨お話し申し上げました。お賽銭を払って見返りを求めるのは神仏と取引していることになってしまいますね。
 例えば闘病平癒の御祈祷、患者さんの魂が慈悲や愛情を学ばなければならない為に病気になっている事も場合によってあります。そのお計らいを厄介払いのように祈祷するなど滑稽ですね。ですから、本当の祈祷とは目の前に置かれた苦悩から逃れずに、こだわり無く受け入れる魂を養うこと。それを正しく行じることができればその果報を得ることが出来ます。その方法こそ自他を超越した釈尊の生命である『法華経・お題目』の受持であります。

修行の成就を久遠の釈尊に御祈念申し上げます。


篤く三宝にご焼香申し上げます。

大勢の皆様にご参詣いただきました。

法要後、総代さんの手品が始まりました。

役僧のお上人方や愛犬とらも和やかに魅入っております。


 
 


nice!(0)  コメント(0) 

大住岡村の伝統行事「大日講」

 毎年8月28日は「大日講」とよばれる祭礼が行われます。法華寺は旧記を案じますと、、中古、大日堂盛行庵と称し、醍醐三宝院の流派に属する真言密教の精舎として大住にその名を印しておりました。寛永15年(1638年)11月3日、当地岡村の澤井家の縁を引く喜見院日便上人〈京都本國寺の名僧で、奈良油阪蓮長寺中興開山〉が、その出身地岡村に、洛中の名刹曇華院宮や、三宝院門跡から寺領の分与を受け、本國寺第17世・鷲峰院日桓大僧正直筆の御本尊を頂き、日蓮宗法華寺を建立されました。
 日蓮宗に改宗した為、前の本尊である大日如来は礼拝対象ではなくなり(日蓮宗の教義では大日如来は本尊になり得ません)別堂に保管してありましたが、この大日様は「雷除の大日如来」として名高かったらしく、以降も民族民間信仰の一端として大日講は存続、現在も旧村の数名がそれを継承しております。
 このような経緯により法華寺の公式行事ではありませんが、当日境内は講員さんが集まります。講員さん曰く
「夏最後の楽しみが大日講だった。この祭りが終わると夏休みが終わってしまうので憂鬱になったものだ。それにしても昔に比べたら、娯楽が増えたせいか子供が減ったなあ」
としみじみと仰っていました。

大日講に古来より伝わる御供。ずいきに獅子唐をくるみ水引で結びます。講員さんも意味は分からないようです。おそらく陰と陽、男女和合と子孫繁栄を祈る民俗信仰でしょうか。

金魚すくいを楽しむこどもたちです。




nice!(0)  コメント(0) 

秋季彼岸施餓鬼会法要のご案内

 よく迷いの世界である此の岸から、仏の世界である彼の岸に至ることが彼岸会の修行と言われますが、本来二つの岸があるのではなく、私たち自身の心の迷いと悟りを示していて、仏心にかなった生き方をすれば彼岸(悟り)に居り、私欲に従った生き方をすれば此岸(迷い)に居るのです。
 釈尊は、彼岸に至る方法として『妙荘巌王本事品第二十七』に、布施(他者に施すこと)・持戒(人に迷惑をかけず約束を守ること)・忍辱(耐える心、怒りを抑えること)・精進(全力で努力すること)・禅定(自分を見失わず心を集中すること)・智恵(ものごとを正しく判断する能力を養うこと)の六波羅密を説かれました。
 我々は、乳児が母親から乳を含むが如く、父なる釈尊から六波羅蜜が自然にそなわったお題目という良薬を含ませていただきました。どうぞ、少しでも魂の向上に努め、お題目を身口意に唱え、ご修行が完成されますことを祈念申し上げます。法要にはご家族そろってぜひ御参拝くださいますようお願い申し上げます。
                     
日 時 9月24日(月・振替休) 午後1時30分  

場 所 法華寺本堂


nice!(0)  コメント(5) 

広島・長崎慰霊

 日本人にとって、いや、世界中の人々にとって、8月6日と8月9日は忘れてはならない日です。謹んで多くの原爆犠牲者の冥福をご祈念申し上げます。後世に平和の尊さを伝える役割を担った魂に衷心より敬意を表します。
 今年は、縁有って両地を訪問する機会を得ました。以前に広島に伺ったことはありますが、長崎は初めてで、しかも両地を8月に訪問できるなど、このうえない機会に想いご報告申し上げます。
 原爆の悲惨さは周知の通りと思っていましたが、最近の学生の修学旅行は観光化し、広島長崎に足が向かないようです。この現実には危機感を覚えます。社会環境や現代教育によって憐憫の気持ちなど感性が鈍く、死の尊厳など実感のない青少年が増加している中で、悲惨な現状に目を背けない勇気が必要です。自らの現状に置き換えて考えてみましょう。

追記 原爆資料館でロシアの団体観光客が真剣に見入っていたことや、平和公園の慰霊碑ではしゃいでいた中国・韓国人観光客が拙僧や他の日本人が真剣に手を合わせる姿をめずらしそうに傍観している姿が印象的でした。

原爆手記
http://homepage3.nifty.com/kikigaki/kikigaki.html

広島の景観。爆心地方面に手を合わせました。

太田川支流。ここでも幾多の人が亡くなったことでしょう。

長崎浦上駅。原爆病院にはまだ多くの被爆者が闘っておられます。

平和公園。残暑厳しい折でしたが、空には秋の気配が感じられます。下に写る水盤には清浄な水が絶えず流れていました。

長崎爆心地直下。これを「死の同心円」と呼んだらしい。距離毎、日に日に放射能症状が拡大したからだそうです。毎日髪の毛を引っ張って確認し、不安でならなかったと被爆者は仰っていました。

浦上天主堂。建物は戦後の再建ですが、使徒の顔が原爆で吹き飛んでいます。

 


nice!(0)  コメント(8) 

盂蘭盆灯火会報告

 昨年に引き続き、本年も多くの皆様のご協力により盛大に厳修する事ができました。朝から参集した法華寺檀徒有志により、テント張りや会場設営、竹灯籠の準備を行いました。また、皆様に召し上がっていただくカレー作りやかき氷、フライヤーで揚げるフランクフルト・唐揚げ・コロッケ、各種飲物の準備も整い、昨年以上の品数に皆様大変喜んでおられました。多くの檀信徒の皆様の労力もさることながら、多くの皆様から「功徳を積みたい」と仰っていただき、材料無償提供がございましたので大変助かりました。
 この法要の特に素晴らしいと感じるところは、皆が一丸となって、ただ「法会を成功させるんだ」「皆に楽しんでもらおう」との意識で活動していることです。ですから、法会が盛り上がるのならばと、物心両面にわたってご協力いただき、そこには惜しみを全く感じないのです。実際法要の最中は非常に高い次元のエネルギーを観じます。
 このところ、南山城地方には全く雨が降らず、恵みの雨の欲しいところですが、灯火会は雨天決行とはいうものの、夜の帳がおりる頃の野外での法要には趣があります。なんとか天気であって欲しいと願っておりました。しかし、法要開始45分くらい前でしょうか、風が出てきたと思ったと同時に「ゴロゴロ」と遠くから雷が鳴り始め、合議の結果、堂内での法要に切り替えました。
 そうなると、野外に設営していた灯籠を全部堂内に運び、堂内で再準備するとなって大騒ぎ。何とか時間に間に合って法要となりました。皆様のご協力の御陰で全く問題なく厳修させていただきました。
 結局雨は降らず、皆様には法要後も存分に境内でくつろいでいただき、後片付けを完了した午後9時以降に慈雨が降り注ぎました。
 なお、当日は120名もの皆様にご参拝いただきました。用意した食事も程よく完食でした。ありがとうございました。

竹灯籠を綺麗に磨く総代さん。竹藪からの切り出しもお願いしています。

カレーのご飯を炊いています。農家のお米ですので甘くて美味です。

法要には都合がつかず、どうしても参加できないのに裏方仕事といって直前までお手伝いいただきました。このような檀家さんには頭が下がります。ありがとう!!!皆感謝していましたよ!!!

揚げ物担当??を見守り鎮座する総代さん。

家族で参加していただきました。作務衣に浴衣、よく似合います。

仕事の合間の一息。暑い中のかき氷がたまりません。主力のメンバーです。

すっかり準備が整いました。

雲行きが怪しい????

慌てて堂内に設営をしました。

慌てすぎて法要の写真がありません。様子は新聞の記事写真で。


nice!(0)  コメント(0) 

盂蘭盆灯火会~読売新聞~

灯火会の様子は後日詳細にお知らせ申し上げる予定ですが、今朝の読売新聞朝刊に報道されましたので、
まずは報告のみ申し上げます。


nice!(0)  コメント(4) 

お盆棚経随想

 8月1日から始まりました平成19年棚経も、お陰様で16日をもって無事終了いたしました。期間中、無病息災にてご廻向申し上げられましたのも、諸仏諸天のご加護の賜であると、深く感謝しているところでございます。また、100件以上の檀家さんにお世話になり、短時間でしたが皆様と触れ合うことが出来ましたのも、拙僧にとりまして楽しい夏の想い出になりました。本当にありがとうございました。
 期間中には、忘れることのないであろう出来事もございました。朝一番に棚経に伺い、元気にお題目を唱え、楽しく懇談したあるご老人が、一日の棚経を終え寺に戻ると、亡くなったとの報せをうけました。年に一回の再会を楽しみにしており、当日も再会を願って家を後にしたばかりなのに・・・ そのご老人にとって、拙僧が最後の面会者になってしまいました。残念でなりませんでしたが、翌日の通夜、翌々日の葬儀と、ご遺族一丸となって人生のクライマックスを見事に送り出し、励まし、素晴らしい儀式になりました。拙僧も、その不思議な巡り合わせに深く感じ入るとともに、故人様の人生に敬意を表し、ともにご修行させていただきました。
 その法号 最上院和光日昭信士 霊位  速やかに仏身を成じ、執着を離れ、魂が安穏なるをご祈念申し上げます。
 話は棚経に戻ります。今回の棚経で特に気になったことがございます。それは、仏壇の維持管理についてであります。「仏壇や仏像、位牌は入魂してあるから触るものじゃない」と良く耳にしますが、掃除はしてください。ハッキリ言って仏壇が非常に汚い家が多いのです。


・仏壇の内外、灯籠の上や天板などがホコリまみれになっている。
・お供えをエサにしたゴキブリの糞だらけになっている。
・半間仏間に収まった仏壇の両サイドのあいた部分が汚れている。もしくは関係ない物品が押し込んである。
・香炉の清掃がしていない為、線香が全く立たない。
・供水や供茶の器が水垢、茶渋だらけになっている。
・何年も前の古い御札がそのままになっていて、花瓶の下敷きに。(引き出しの中にも突っ込んである)

 等々。キリがありませんが、仏壇は言うならばお寺の本堂の家庭版です。お寺の本堂が上記の如く荒れていたなら皆様はどのように感じるでしょうか。きっと「お寺なのに信じられない」と感じるのではないですか?皆様の仏壇も同じ事です!!!
 仏壇の汚い方はすぐに、綺麗な方はもっと綺麗に掃除を心がけましょう。仏壇磨きは魂磨きの始まりです。

ある檀家様の整頓された仏壇(盂蘭盆会お供え)画像です。


 


nice!(0)  コメント(0) 

日本ペン習字協会展覧会

 少し前のことになりますが、東京の浜松町にてペン習字展覧会がありました。寺庭が結婚する以前から東京にいた頃より、横浜の先生に書道を習っており、現在も通信教育で(関東に用があった際は伺って)習っておりますが、賞をいただいたようで、2人で見に行った際の画像です。
 展示してある作品の数々は、本当に美しく、家内の作など足元にも及びません。人が書いたとは思えぬほど正確で、中国の児童書道作品などは、本当に天才としか言いようがありません。
 字の苦手な拙僧深く反省したのでした。




nice!(0)  コメント(3) 

盂蘭盆施餓鬼大法要厳修

 非常に暑い京都の夏、本年は冷夏と予報されたものの、連日に渡り酷暑が続いております。しかし、照りつける太陽の下で、汗をぬぐいながらのお寺参りやお墓参りは、季節を感じる意味でも良いものです。一年間無事に過ごすことのできた感謝の念が湧いてまいります。
 法要当日も、非常に暑かったのですが、多くの檀信徒の皆様にご参拝いただきました。当日の画像をアップいたします。

寺庭婦人が用意したレモン水です。冷水に爽やかなレモンの風味、非常に好評を博しました。

50人もの皆様にご修行いただきました。堂内は、檀信徒様ご寄付の椅子・冷房で快適です。

先祖供養のみならず、自らの精神性の向上が仏教の眼目であるとの当日の拙僧法話により、罪障消滅と懺悔罪滅、自他の区別を超越した法華経中の釈尊を唱題修行で観想し、自他とも仏道を成ずる旨、皆で祈りました。


nice!(0)  コメント(0) 

盂蘭盆期間真っ最中~読売新聞取材~

合掌
 8月1日より本年度の棚経がスタートしましたが、ようやく折り返し地点を越え、16日まで残すところあと数日になりました。お陰様で、息災にて過ごしております。期間中種々出来事がありましたが、落ち着きましたら日記を書こうと思っております。今しばらくお待ち下さいませ。再拝

追伸

 ある檀徒様のはからいで、8月19日の灯火会の模様を読売新聞社が取材してくださることになりました。翌20日の読売新聞朝刊の南山城版に報道されます。皆様、当日は是非ご参加いただきたくご案内申し上げます。そして、翌日新聞をご覧下さいませ。


nice!(0)  コメント(0) 

最近多い「合掌のかたち」

 最近お寺に参拝に来られた方や、テレビのワンシーンなどで合掌している人の姿を見てよく思うことがあります。
 さあ皆さん。お寺にお参りに来たり、お願い事をしているつもりで、その場で合掌してみてください!合掌の手の位置はいかがでしたか?
 
「合掌とは左右の掌を合わせて礼拝することで、合爪とも書く。インド、ベトナム、タイを始め南方の仏教国では、僧俗を問わず日常の礼法として行われており、インドでは右手を神聖な手、左手は不浄な手として使い分けられているが、この両手を合せることは聖なるものと合一するという心を表すものである。~中略~日蓮宗で用いている型は十二合掌の内、「堅実心合掌」にあたるもので、十指爪掌をぴったり合わせて、中指の先を咽喉の高さにして、両拇指の第一関節を軽く鳩尾の辺につけた形をとるものである」『日蓮宗事典』

 昔は「心は胸の中にある」と教えられましたが、現在は頭の中に心が在ると考えるからでしょうか。合掌を顔前頭上で作法される方があまりにも多いのです。特に子供の合掌を見ると、99%は顔前頭上合掌です。正しい所作には意味があります。仏像などで合掌されている姿は胸の御前に手を合わせていますね。顔前頭上合掌ではありません。
 皆様、正しい合掌を身につけましょう。子供達にも教えてあげましょう。そして、心は頭(知識)ではなく胸の中(智慧)大切なハートにあると伝えましょう。  法華寺 日梵


nice!(0)  コメント(5) 

法華寺所属 柴犬「とら」

 最近は色々と物騒なことが多く、当山にも、以前窃盗団の下見らしき人が境内をフラフラしたり、ご近所様に空き巣が入ったりと油断できません。
 そのようなことが続きましたので、セコムに加入し、また番犬のつもりで犬を飼い始めました。早いもので3年になりますが、お陰様で小柄な犬ですが不審者にはしっかり吠えてくれるし(犬ながら檀家さんは判っているようです)助かっております。その功績を讃え???画像をアップします。「とら」はそんなことよりジャーキーが欲しいかもしれませんが。

暑いと思ったので、ホースで水をかけてやった直後のとら。



nice!(0)  コメント(2) 

愛知万博ネパール館での想い出

大分前の話になりますが、一昨年愛知万博がありましたね。拙僧も2度行ったのですが、職業柄とでも言いましょうか、やはり仏教国パビリオンにはとても魅せられました。(勿論世界各国素晴らしかったのですが)
 その中で、ネパールは、釈尊生誕の地であり、今でもヒマラヤ山脈を中心としてチベット仏教、ネワール仏教、ヒンズー教などの諸宗が渾然一体となって息づいている地ということもあり、館内は仏教寺院仏塔の復元や密教法具の展示などがあり、土地の強いお香の匂いや、土地の食べ物の匂いなどが充満し、カトマンズの街角に立ったような熱気でした。
 そして、仏塔の中にはいると、タンカ(仏画)や密教法具や仏像などが所狭しと並べられ、それらを物販しております。中でも、特に気に入ったのはタンカです。現地のラマ(高僧)が色鮮やかな岩絵の具で仏を念じながら図した曼陀羅や仏画は、日本の伝統にはない様相で、釈尊の往時を偲ばせるような一品でした。 
 その中で、釈尊の一生を描いたタンカと、梵字曼陀羅が目にとまり、すぐさま現地スタッフとの交渉です。何十万円というビックリするような価格がみるみる下がり、我々でも何とか手を出せる価格まで下がります。高価ではありますが。うーむ、現地っぽい。
 そして、交渉成立。雑然と丸まっているタンカをするりと抜き、そのまま渡してくれます。領収書を書いてくれるのですが、唖然・・・・・。購入したタンカを台にして、力一杯ペンをすべらせているではありませんか。そして領収書と一緒にタンカが渡され、笑顔で見送っていただきました。
 その瞬間、彼らの神仏に対する強い想いを感じたのです。我々日本人は、仏像にしても仏画にしても、高価なものとか年代の古いものといった金銭的物質的な価値を基準にしてしまう。よもやもすると、そこに有り難さをも観じてしまう。しかし、チベットやネパールの仏教徒は、汚かろうが綺麗であろうが、高僧の描いた仏画であろうが、壁の落書きであろうが等しく敬うのです。そこにあるのは、神仏への畏敬の念のみです。
 また、彼らは輪廻転生を信じ、今生にて自らの罪障を消滅させる故に一生懸命五体当地などの修行に励みます。一定の戒律も遵守しています。ですから、今置かれた状況が仮に貧しかったとしても、人を羨むことはしません。なぜなら、魂は自己の責任の上に成り立っているから、貧しさこそ「あるがまま」であり、他者を羨むことなど無意味である理を体得しているからです。 
 日本の仏教徒には欠けた資質であり、素直に考えさせられました。そして、改めて仏教って素晴らしいなあと感じたのです。
 


nice!(0)  コメント(0) 

盂蘭盆燈火会法要(送り火)のご案内

 法華寺では昨年に引き続き、竹灯籠に灯をともし、盛大な灯火会を行います。お陰様で昨年は初めての試みにもかかわらず、大勢の皆様にご参拝いただきました。小さな灯籠のあかりを通じて、少しでも多くの方に命の尊さを観じて頂くことができればうれしく存じます。法華寺檀徒の有無を問わず、この行事に賛同される方はご近所
友人・親戚・お子様等お誘い合わせの上、ご参拝くださいますようご案内申し上げます。                      
●竹灯籠1基(1霊位分または1祈願分)につき1000円のご奉納を賜ります。より多くの皆様に供養していただくためにも、どうぞ各人にお勧めください。8月10日までに法華寺にEメールでお申込みください。

例 ○○○○信士 施主 法華太郎  ○○○○大姉 施主 法華花子 計2体申し込みます。
  注意 住所 氏名 電話番号を必ず記入してください。

●竹灯籠には戒名もしくは祈願内容と施主名を記載致します。

●竹灯籠は回廊に設置しますが、荒天の場合は堂内に設置しますので、雨天決行です。

●当日は法華寺よりカレーライスのご供養がございます(おかわり自由)

●フランクフルトのご供養もございます。

●飲物もビール・日本酒・焼酎・ジュース他揃えております。
            (運転の方はアルコールをお控えください) 
●また、お子様にはお菓子袋を、もれなくプレゼントします!!

昨年の燈火会の様子写真 
http://www009.upp.so-net.ne.jp/hokkeji/hokkejigyouji.html

日時

8月19日(日)法華寺境内にて(雨天決行) 

午後5時より  随時カレーライス・フランクフルトご供養

午後6時半より 竹灯籠を点灯し、灯火会大法要並びに霊位読み上げ

郵送先 610-0343 京都府京田辺市大住岡村61 法華寺
Eメール hokkeji@sd6.so-net.ne.jp

※なお、多くの皆様に集っていただき、末永く当行事を存続するため、若干の志納金(おきもち)のご協力をお願い申し上げます。


nice!(0)  コメント(0) 

住職雑記4 ~お盆の時期になると・・・・・~

合掌
 ブログの更新が滞っていることを反省しつつ、アップしなければならない画像や話が貯まっていくことに危機感を覚えつつも、お陰様で息災多忙にて生活しております。
 お寺で、お盆といえば一大行事なのですが、その中で、僧侶が皆様の仏壇にお参りに伺う『棚経』を迎えると、「ああ。一年間無事に過ごしてまた伺うことができたなあ」などと想い、月日の流れの速さを痛感するのです。

檀徒の皆様には以下の文章を送付しております。

【例年の通り、本年も皆様のご家庭のお仏壇に御経を捧げ、謹んでご供養申し上げます。なお、期間中百件単位で皆様のお宅にお参りする予定となっております。近年の核家族化に伴い、休日しか自宅に居られない方も多く、皆様のお仏壇に等しく御経を捧げようと考えますと、どうしても、毎年同じ日時にお伺いする事が困難な状況でございます。また、檀信徒の郊外地方への分散化・新盆の多少なども影響いたします。これによって、全部の家を8月10~15日の期間にお参りするのも困難です。7月・8月はお盆月間ですので、お参りがこの期間内なら、精霊のお迎えの有無に関係なくご先祖様や皆様の供養功徳に繋がってまいります。皆様には格別のご理解を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。
 下記日時のご都合の悪い方は、ご相談には応じますが、意に添えないことがございます。その場合は、秋彼岸期間のお参りになります。】

 ここで本題に。檀徒の少なかった以前は「何月何日の何時に伺います」と簡単に連絡をしていたのですが、お陰様で檀徒が増加するとそういうわけにも参りません。上記のような理由によって希望の日時に伺えないのが現状です。また初盆法要の多い年などは、どうしても時間がかかるので、思うように回れません。
 毎年、皆様に案内を送付した後は、必ず棚経時間変更の電話が多くあります。これは、他のお寺様でも経験のあることと思います。本当に都合の悪い方もあるのですが、そのような方は

「それ以外の日で、住職の都合の良い日に変更してください」とおっしゃいます。

しかし、多くの電話の依頼主は

「都合が悪いので10日以降に変更してほしい」というものです。

 本当に10日以前に都合の悪い場合もあります。しかし、数をこなせば、たいがい相手の心意が見えてまいります。

こちらが「10日以前はまったく誰も居られないのですか?」と尋ねると

あわてながら「そうなんです」と答えられ、結果むりやり変更して、他のお宅に遅刻しながら回ります。

元々伺う予定の日に、そのお宅の前を通ると、普通に家で洗濯物を干しているということはよくあります。

 お盆に近い期間にお参りに来てほしいという気持ちは良く分かります。お花やお供えのこともあるでしょう。(宝塚にある寺の某住職は、花や供物にお参りしにいく訳じゃない。花や供物は住職に見せるために飾るのか?私は皆様のご先祖様引き連れて御本尊様を礼拝に伺うだけですと仰ったそうだが)
 しかし、皆様には個人の主観主張ではなく、全体の流れをよく考えていただきたいのです。

・お盆期間を外れてでもお参りしてもらうのに功徳があるのか。
・嘘をついてお盆期間にお参りしてもらうのに功徳があるのか。

 厳しいかもしれませんが、後者には全く功徳はありませんし、むしろ罪障を造るだけです。

 先述の通り、百件単位の件数を平等に参ろうと考えますと、皆様のご理解無しでは成しえません。分刻みで予定を組んでおりますので、無理な変更は他のお宅に迷惑をかけることにもなります。
 皆様には格別のご理解を賜りますよう、再度お願い申し上げます。                  法華寺 日梵


nice!(0)  コメント(1) 

盂蘭盆施餓鬼大法要のご案内

卒塔婆をたてて、其の面に南無妙法蓮華経の七文字を顕してをはしませば、北風吹ば南海の魚族其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鹿鳥其風を身にふれて畜生道をまぬがれて兜卒の内院に生れん・・・過去の父母も、彼の卒塔婆の功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、・・・後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水澄めば月うつり、鼓打てば響きのあるがごとしと・・・。

日時 8月5日(日)午後1時30分 より

場所 法華寺本堂

お盆は檀信徒の多くの集いのもとでのご供養に大きな意義があります。法要には是非お詣りください。


nice!(0)  コメント(0) 

住職雑記3 ~どこまで個人の権利や人権を守るのか~

 皆様は鬼子母神の説話をご存知でしょうか。鬼子母神には愛すべき何百人もの子供がいましたが、他者の可愛い子供を食したいという欲望が湧いて、どうしても止められず、遂に他者の子をさらっては食していました。ある日、鬼子母神が家に戻ると最愛の我が子のうち、末っ子の姿だけが見当たりません。他の子に聞いても分からず、憔悴しきった鬼子母神はお釈迦様に助けを求めます。

お釈迦様
「あなたには他に何百もの子供がいるではないか、1人くらい問題にならないであろう」
鬼子母神
「親であれば、たった1人の子供であってもかけがえのない存在です」
お釈迦様
「何人子供があろうとも親は悲しいものである。それでは、なぜ人の子を盗んで食うのか。同じ親であれば、かけがえのない子との別れがどれほど辛いか理解できるであろう」
鬼子母神
「自らは大きな過ちを犯していました。今後は常に自らの心を律し、仏法を守護することで罪障消滅をしてまいります」

 この仏教説話は非常に有名ですが、最近は「赤ちゃんポスト」や、親が子を殺すといった凶悪な事件が後を絶たず、現代日本は建国以来いちばん乱れた世になってしまいました。いわば、身勝手な人類の象徴が鬼子母神だったのですが、いまやその鬼子母神が自分の子供にまで手をかけ捨て始めました。
 いま「赤ちゃんポスト」について賛否両論あります。拙僧は身勝手な親の匿名性の下にかけがえのない子供の命が踏み台になっていることに憤りを覚えます。
 皆様も一度や二度は経験があるでしょう。人生には大なり小なり気まずいことや、なんとかその場から逃げてしまいたいということがあります。一生懸命言い訳を考えたりもします。しかし、決意を持ってその場から逃げずに立ち向かうことが大切だったりするのです。逃げずに問題を解決した際の達成感は何ともいえません。人格・精神性の向上にも繋がるのです。
 ましてや、この問題は命に関わることです。身勝手な親の体裁など問題にならないでしょう。先日、3歳の男の子がポストに入れられた(もはや3歳児ともなれば押し込まれたか)ニュースが報じられましたが、3歳であれば意識もしっかりしているでしょうし、心の傷を背負って生きなければなりません。親の氏名も判っているそうです。しかし、匿名性を重視して調査は打ち切られたそうです。それでなくても自分勝手な人間が増え続け、個人主義を助長させる社会教育がなされているのに、どうしてそこまで個人の権利を守るのでしょうか。
 子供の救命第一主義はごもっともな理由でしょうが「赤ちゃんポスト」は全く不完全なものです。「仏作って魂入れず」とはこのようなことを言うのでしょうか。その最終的な手法に至るまでには多くの道が残されていることを考え、その多くの道を示すことこそ心血を注ぐべきで、これこそ個人国家挙げての再生への道です。
 日蓮聖人は
「木陰にたまたま一緒になったのも、たかだか同じ河の水を汲んだだけでさえも、過去の生まれかわり死にかわりの間に結んだ因縁があったからというのに、まして現世において親となり子となるということは、過去世においてどれだけ深い因縁があったのであろうか」

「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。父母和合して我を生みたるは、我が体全体父母の体なり。たとえば種と果実と、体と影のようなものである」
 と、親子一体の理を示されました。
 この国は高齢社会になります。老人の面倒を見ることが生活の負担となり、誰にも相談できず、親不孝者と世間から罵られるのが恥ずかしく、その種の凶悪事件が横行した挙げ句、人倫の道理を説く以前に、匿名性をふりかざした姥捨て山ならぬ「おじいさんおばあんさんポスト」が出来やしないかと心配でなりません。法華寺 日梵

 


nice!(0)  コメント(0) 

信楽へ

 日に日に夏に向かっていることを自然が感じさせてくれますが、今の季節、夕刻頃の風が心地よく、新緑の中を涼風が駆け抜けています。そんな季節を楽しみながら、予定の空いたある日の午後、信楽に行ってまいりました。当山から国道307号で30分くらいで到着いたします。南山城のなだらかな山、朝宮茶の茶畑を抜ければ信楽です。
 昔は空調設備などありません。葦簀や簾を掛けたり、紐を張って朝顔を巻いたり種々工夫して、夏の暑さを緩和する努力をしていました。
 いま、当山でも山野草や季節の草花を植えたり、境内地庭園の景観を整え、「癒しの原風景」を具現すべく活動しております。そのヒントを得るために信楽の陶器店を尋ねたのですが、お手頃な『信楽焼水流つくばい』が手に入り、玄関に涼を呼ぶ水音が響いております。
  皆様の自宅で生育している草花を株分けしてくださったり、アイデアを提供してくださる等、そのような活動に興味のある方は是非ともご協力願います。 法華寺住職 日梵 九拝

信楽 山金陶器

法華寺参道~チューリップ~


nice!(0)  コメント(0) 

各家先祖代々追善大法要のご案内

 さて、来る6月10日に、御先祖様を大いに顕彰し、感謝の誠を報ずるべく各家先祖代々追善大法要を厳修致します。
 ①仏壇が家にお祀りされている方で、希望者は、供養したい霊位の塗位牌を持参していただき、本堂御本尊様の御前にて法味を捧げます。さらに、極上薫香にて位牌を燻蒸し,ご供養いたします。
(1霊位につき500円の志納を奉納頂きます。事前に位牌持込申込書を法華寺に郵送又はメール願います)
 ②仏壇の有無を問わず、同時に、従来通りの塔婆供養も受け付けます。
(塔婆一本につき2千円を奉納頂きます。事前に卒塔婆申込用紙を法華寺に郵送又はメール願います)
 また、併せて檀徒総会も開催致します。家族揃って御参拝くださいますようお願い申し上げます。

日時 平成19年6月10日(日)
   
午後1時30分~各家先祖代々追善大法要
午後2時30分~宗教法人法華寺檀徒総会

お問い合わせ

京都府京田辺市大住岡村61 法華寺  0774-62-1975
                          hokkeji@sd6.so-net.ne.jp


nice!(0)  コメント(3) 

住職雑記2 叔母の話~幸不幸を他者に決めつけられたくない~

 今日は叔母の話をさせていただきます。拙僧の叔母は、若くして最愛の夫を亡くしました。叔父と叔母は周りからも「おしどり夫妻」と言われ、お互い強く信頼し、本当に愛し合っていたのです。しかし、突然病魔が叔父を襲い、そのまま帰らぬ人へ・・・・・  叔母にとって、その後それは辛く悲しい日々だったのです。来る日も来る日も思い出されるのは叔父の姿。毎日眼を腫らしていました。そんなとき、創価学会を信仰している叔母の同級生が家を訪ねたのです。

同級生

「何で主人を早く亡くす不幸になったか?それは間違った信仰をしているからだよ!!」
     
「正しい御本尊におすがりすれば、絶対幸せになるし、ご主人も成仏するよ!そうしないとあの世で今頃苦しんでるんじゃないの?」

叔母 

「あんた、いくら幼なじみだっていったって失礼じゃないの。こっちは主人を亡くして喪に伏しているのに」
     
「それに、言わせて貰うけど、確かに主人を亡くしたことは辛いし悲しい。だけど、一度だって自分は不幸だなんて思ったことはないよ!!!」

「姿形はなくとも、私の心には主人の限りない無償の愛が今でも充ちている。短い間だったけれど、充実したとても内容の濃い生活だった。今でも私は幸せをかみしめているよ」

「それをなんだい。敷居またいで開口一番そんなことは言われたくもないし、そんな貧しい心しか培えない信仰なんか全く興味ありません」

 以前、月刊誌『大法輪』において、楠山泰道上人が「純粋な批判精神そのものに自己を位置づけるということが日蓮上人の跡を追う法華信仰者としての有り様として正しいと考えるのか、それとも、その範疇を越えて現実の政治や経済を射程に入れて自己の欲求を形るものまで実現していくことこそが正しいと考えるのか、この分岐するところに、日蓮宗と創価学会の認識に大きな違いがある」と論じていたが、創価学会に限らず、宗教は、熱心あまると結実するところ他を相容れず、団体の意識に個人の意識が飲み込まれ、自己に向けた批判精神を失い、他に意識がまったく向かず、かりに自らの精神性・意識が低級なものであったとしても、それに気づかず、正統な信仰を名の下に自己を防衛し独善的な信仰者になってしまうきらいがあります。
 上記叔母の逸話。叔母は普通の「おばさん」ですが、誰よりも真の幸福を理解していました。叔父の冥福を祈念申し上げます。 合掌 


nice!(0)  コメント(3) 

知覧~開聞岳~桜島

合掌
 先日、鹿児島に行って参りました。以前当ブログ「愛する南九州」「靖國神社と奇跡の椰子の実」の項にて、拙僧の想いをつづりましたが、戦争で肉親を亡くした拙僧の母が以前より「知覧に行きたい」と願っており、育てていただいた恩返しも兼ねて今回思い切って向かったのです。
 母は殆ど旅行をしたことがなく、体調を気遣いながらの旅でしたが、他界した父との新婚旅行が鹿児島だったらしく、感慨深い様子でした。(新婚旅行は海外が主流の今にあって、拙僧も鹿児島でした)そして念願の知覧では、整頓された町並み、桜の花びらが舞い上がる中、謹んでご冥福を祈念申し上げました。
 戦中の国民は、大なり小なり戦争という暗い時代を必死に生き抜きました。時代に翻弄され、武士人道の本質を忘れ、他者の生命や尊厳を奪った者もいたでしょう。そうせざるを得なかった者もいたでしょう。今だからこそ善悪の反省が容易に可能ですが、当時は容易ではなかったでしょう。しかし、どんな立場にあろうとも、皆、安穏幸福を願っていたに違いありません。
 今我々のすべきことは、善につけ悪につけ、当時の人々が、どのような想いで激動の時代を生き抜いたかを我が身心に換えて種々感ずることであると思います。そうすることによって短絡的な平和主義から解放され、本当の意味で平和を意識実行するようになると思います。

 青山繁晴氏 硫黄島の取材のコメントより

~今まで日本は口だけ平和主義をうたってきて何が変わったか?硫黄島玉砕の際、時の栗林中将は白旗を揚げず、何万もの兵士を犬死にさせた悪人の評価である。しかし真実は、戦争末期、本土決戦を目前に控え、町から徴兵された一般の市民が硫黄島に多数あり、「戦略上この地を奪われたら本土爆撃の拠点になり、愛する國、愛する人が犠牲になってしまう。何としても最後まで粘り続けて戦闘を継続せねばならない。その間に戦争が終結する可能性もある」との思いで戦った。その遺骨の多くは、収集されず現在滑走路のアスファルトの下敷きになっている。(米軍は早急に滑走路を設する必要があったので、死体の上にアスファルトを流していった)これを放置するのは死者に対する冒涜である。硫黄島は今の時代の生きるテーマである。この犠牲になった人々は美しい日本を後世に託して亡くなった。しかし、今の日本は親が子を殺し子が親を殺す恐ろしい国になってしまった。硫黄島は現在民間人は入島出来ないが、国は一刻も早く整備して、その遺骨を収集し、誰もが入れる環境を整えよ。本来はアメリカ人の映画によって硫黄島を学ぶのではなく、日本人自らが自発的に学ばねばならないのである。修学旅行が観光旅行と化し、リゾートになど行くのではなく、硫黄島にて子供達に生命の尊厳を教えよ~

特攻平和観音堂


特攻平和会館


愛する開聞岳

島津磯御殿から拝した桜島


nice!(0)  コメント(4) 

岡山市 最上稲荷妙教寺・日蓮宗不受布施派祖山妙覚寺

合掌
 法華寺には最上位経王大菩薩が別勧請されております。このご縁により、年に一度は必ず岡山市内にある最上稲荷妙教寺に参拝いたします。今年も参拝してきました。
【最上位経王大菩薩】
 久遠実成の本師釈迦牟尼仏の応現として、衆生の済度のために菩薩の姿となって現れた、法華経の守護神といわれる。最上位とは、その位階が最上であることを表し、経王とは諸経の中の王をいい、最上位も経王も共に法華経を意味するのである。その姿は女神であり、柔和にして豊麗、左の肩に稲束をになって、右の手に鎌を持ち、白狐に乗り、その白狐は口に如意宝珠をくわえている。稲束は最上尊が五穀の神であることを象徴するものである。これは食糧をもって生活を守護することを意味している。また鎌は稲束と共に農作を表し、広く労働を守護する意を持ち、更に悪を払い退散させる意をも表している。白狐のくわえている如意宝珠は心願成就・開運招福を意味している。最上尊は俗に稲荷と呼ばれるところより、狐であるように混同されているが、いわゆるキツネ(動物)ではなく、久遠本仏・法華経の応現仏として、法華経の精神を心として衆生済度のために出現した菩薩である。最上尊の乗る白狐は、白すなわち最上尊の清浄なることと、神出鬼没の神通力・神秘的な霊力を象徴するものである。最上位経王大菩薩には八大竜王・三面大黒天の脇仏、日車天王(ひぐるまてんのう)・荒熊天王(あらくまてんのう)等の七七の天王が眷属として、取巻いている。
                                           《稲荷日宣『法華経の心』》
最上稲荷公式HP http://www.inari.ne.jp/




 
 岡山県は「備前の堅法華」といわれるほど日蓮宗信仰の非常に盛んな土地です。その中で、日蓮宗の一派である「不受不施派」の拠点であることは有名です。その祖山妙覚寺は最上稲荷からも近いのでそちらも毎年参拝いたします。妙覚寺歴代墓所には、不受不施の純潔を守るために殉死された僧侶や信者の供養塔が建立されており、他寺院の歴代墓所とは明らかに雰囲気が異なります。それは神社にも似た清らかな雰囲気です。
【不受不施派】
仏性院日奥上人(1565-1630)を派祖とし、岡山県金川妙覚寺を本山とする日蓮系の一派。日奥上人は豊臣秀吉の大仏千僧供養会の出仕に関して(日蓮宗の教義解釈で、信仰者以外への供養や布施、他宗僧侶との同座を禁じるもの。受けることも同様に禁じられ、歴史上度々解釈において問題視され議論になっている。中でも、この秀吉の千僧供養に出仕するか否かは当時大問題となり、為政者に反するような危険を冒すべきではないとして出仕を主張する受不施僧侶と、あくまで信仰の純潔を主張し出仕を拒絶した不受不施僧侶が対立した)日奥上人はこの不受不施義によって為政者の怒りを買い、慶長5年(1600)対馬に流罪となった。その後慶長17年赦免される。この頃より宗門内は勿論のこと、幕府の政策により社会的な問題として不受不施義と受不施義の論争となり、寛永の不受不施事件に日奥は死後の流刑を受けたのである。寛文5年(1665)幕府は土水供養を出して不受不施派の弾圧を行い、元禄4年には悲田停止令が出されて不受不施派は禁制宗門となった。以後、地下信仰として不受不施派はその法脈を伝承してきたが、その間多くの弾圧事件が引き起された。やがて明治新政府が確立するに及んで、明治8年に釈日正は不受不施派再興請願書を新政府の教務部に呈し、翌9年「日蓮宗不受不施派」の再興、派名公称の認可が下り、独立宗派となった。


妙法蓮華経勧持品第十三を読誦させていただきました。


nice!(0)  コメント(2) 

法華寺境内 桜開花

 法華寺境内には3本の桜の木があり、毎年見事な花を咲かせますが、本日開花しました。まだこの花のみの開花ですが、明日には大分開くと思います。
 また、同じ時期に木蓮も綺麗な花を咲かせますが、花のつぼみが甘いのか?鳥に皆食べられてしまいました。例年であれば少しは残って咲きますが、今年は全滅です。小鳥は可愛いのですが・・・
 3月18日厳修した彼岸法要の画像もアップします。盛大に修行できました。




nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。